「天下祭」として知られる神田祭は、元和年中までは船渡御であったと言われている。また、延宝年中までは毎年斎行されていたが、山王祭(赤坂・日枝神社)と隔年で斎行することになり、以後今日までに2年に一度斎行されることが恒例となった。江戸幕府の庇護を受け、江戸城内に祭礼行列が練りこみ、将軍・御台所の上覧があったことなどから、江戸の庶民たちからいつからか「天下祭」と称されるようになった。また、江戸時代を通じて全国的に有名な祭のひとつとして「日本三大祭り」「江戸三大祭り」の中に数えられた。
※西暦が奇数年に本祭りとなります。
参考サイトURL: 神田明神
(最終更新日: 2019年02月06日 18時47分 )