山北町山北の宮地に所在する室生神社に伝わるもので、起源は源頼朝の石橋山挙兵の際、平家方に味方したため領地を没収され、斬刑に処されるところであった河村義秀(かわむらよしひで)が、鎌倉で行われた流鏑馬の妙技により刑を免ぜられ、旧領に復帰できたという故事(『新編相模国風土記稿』『吾妻鑑』)によるとされています。故事では鎌倉で流鏑馬が行われたのは建久元年(1190年)なので、義秀が旧領に復帰した翌年から「室生神社の流鏑馬」が始まったとすれば、現在まで約800年余り続いていることになります。農家の人々により受け継がれていた時期もあり、かつては的の当たり矢によって翌年の稲作を占う神事としても行われました。三つの的は、一の的が早稲、二の的が中稲、三の的が晩稲のできをあらわしました。尚、午前中に明治時代に作られた「花車」(かしゃ)「山車」2台と神輿1基が山北地区を巡行し、宮入り(12時前後)後流鏑馬神事が行われる。
参考サイトURL: 山北町観光協会
(最終更新日: 2023年02月08日 14時00分 )