浜降祭のはじまり
今から160年ほど前の天保9年(1838)、寒川神社の神輿が例年春に行われる国府祭(こうのまち)【大磯町国府本郷】に渡御した帰途、相模川の渡し場で寒川の氏子が争いを起こし、川に落ちて行方不明になってしまいました。
その数日後、南湖の網元である孫七さんが漁の最中にこのご神体を発見し、寒川神社に届けたことを契機に、毎年同神社の神輿が、そのお礼のため南湖の浜に赴き、「禊(みそぎ)」をするようになったと言い伝えられています。
一方、江戸時代後期に幕府がまとめた『新編相模国風土記稿』によると、鶴嶺八幡宮では、寒川神社のお礼参りよりずっと古い時代から、心身の罪や穢れを清める「みそぎ」の神事を行うため、毎年、浜辺への渡御が行われていたとあります。
[茅ヶ崎市役所ホームページより]
参考サイトURL: 茅ヶ崎市役所
(最終更新日: 2023年02月08日 14時00分 )