797年、征夷大将軍(坂上田村麻呂が、豊積神社に、戦勝祈願をし、戦勝報告に立ち寄った時に、村人たちが、3日間夜通し太鼓を打ち鳴らし、村中を練り歩いて祝ったのがはじまりとされています。
道祖神は、「どうろくじん」「さいのかみ」「さえのかみ」などとも呼ばれ、災厄の進入を防ぐ神とされ、石像などに刻んで村境や辻などに祀られている神様。
慶長9(1604)年、「鳥追い祭」は、田畑の作物を荒らす鳥や獣を追い払い、五穀(米・麦・あわ・きび・豆)やその他の作物の豊かな実り・町内厄除(やくよけ)・家内安全を願って始められたといわれています。
黒石寺で行われる蘇民祭は、裸の男と炎の祭とし、災厄を払い、五穀豊穣を願う裸参りに始まり、柴燈木登、別当登、鬼子登と夜を徹して行われる。