宝殿の造り替え、そして御柱を選び、山から曳き、境内に建てる一連の行事を「御柱祭」と呼び、 諏訪地方の6市町村の氏子たちがこぞって参加して行われます。正式名称は「式年造営御柱大祭」です。
797年、征夷大将軍(坂上田村麻呂が、豊積神社に、戦勝祈願をし、戦勝報告に立ち寄った時に、村人たちが、3日間夜通し太鼓を打ち鳴らし、村中を練り歩いて祝ったのがはじまりとされています。
道祖神は、「どうろくじん」「さいのかみ」「さえのかみ」などとも呼ばれ、災厄の進入を防ぐ神とされ、石像などに刻んで村境や辻などに祀られている神様。
桜も咲き誇る4月の第1金・土・日の3日間、遠州地方の祭りのトップを飾る遠州横須賀三熊野神社大祭が盛大に行われます。
450年以上の歴史と伝統 があり、遥か今川時代以前より駿河の大祭とされま した当神社の例大祭「廿日会祭」が、本年も桜花爛漫のなか4月1日より5日まで斎行 されます。
毎年4月第2日曜日の本楽と前日の試楽の2日間、八百津の産土神(うぶすながみ)である大舩神社を中心として行われます。
悪霊退散、疫病追放を祈った平安時代の祗園御霊会を起源とするお祭りで、地元では「おてんのうさん」の愛称で親しまれています。
寛永10(1633)年に藩主・堀直竒(ほり なおより)が今の地に西奈彌(せなみ)羽黒神社社殿を造営し、臥牛山の元羽黒から御遷宮した時に遷宮祭を執行したのが起こりとされています。
天竜川の河口東側に位置し、江戸から明治にかけて湊町として栄え「遠州の小江戸」とも呼ばれていました。
本来、えびす講祭りは七福神の1つ・商売の神「恵比寿神」を祭る行事で、旧暦では10月20日、新暦では11月ごろにお祝いされていました。